2021-04-23 第204回国会 衆議院 外務委員会 第10号
また、新宿住友ビルにある総務省委託の平和祈念展示室の一部を資料の保管場所に活用できないでしょうか。また、九段下にある昭和館の展示室の一部を使うことはできないでしょうか。 政府の見解を伺います。
また、新宿住友ビルにある総務省委託の平和祈念展示室の一部を資料の保管場所に活用できないでしょうか。また、九段下にある昭和館の展示室の一部を使うことはできないでしょうか。 政府の見解を伺います。
ちなみに、平和祈念展示資料館、これは新宿住友ビル四十八階ということですけれども、年間賃料は約五千九百八十万円。 この点、平成二十三年八月に閣議決定された強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針、これは最後につけておきましたけれども、この中でも、「戦中・戦後の労苦に関する資料の収集・展示を行う昭和館等の施設間の適切な連携を図る。」ということが明記されています。
○野田国義君 新宿住友ビルになぜなくちゃいけないのかと。場所ですよね。例えば国会周辺辺りにあったらいいんじゃないかなと。例えば昭和館もいいでしょう、だから一緒にドッキングして。 確かに、もう戦後七十年ということなので非常に資料として私も感銘を受けた部分はあるんです。非常に、改めて戦争の痛ましさと申しますか、それを感じてまいりましたので。
まず、平和祈念展示資料館の運営についてということでございますけれども、私、昨日、時間をつくって新宿住友ビルの方に行ってまいりました。それで、これ民主党政権時代、行政事業レビューシートですか、ここに持っておるところでございますが、指摘をしておったわけでありますけれども、全く改善をされていないと言っても過言じゃないんじゃなかろうかと思っているところでございます。
それから、住友ビルというのは、通称三角ビルと言われていて、大変新宿の新都心でも有名なビルなんですね。先日、基金の方にお話を伺ったら、つまり引っ越したときは当時のビルとしては相当古いビルだった。相当古いビルだということは家賃が安いということを言われようとしたんですが、実は家賃は安くありません。大変有名なビルでありますから、周りに比べて高い。
まず、展示の関係でございますが、お話ございましたように、中央の展示施設といたしまして、新宿の住友ビルでございますが、そこでその三問題の展示を常設的にやっておりまして、そこで各種の実物資料でありますとかグラフィック、映像、それから模型等の展示をやっております。
それは丸の内のビルディングの辺りとか、あるいは、これはどこになるんですかね、新住友ビルあるいはソニービルの辺り、若干いいところは上昇しているわけでございます。 ただ、全体的に見ますと、今申し上げましたように、もう十二年連続大幅に下落をしております。そういう中で、私はまだまだ下落をする気がしてならないんです。だけれども、やっぱりこの下落は止めないといけないと、そのようにも思います。
新宿住友ビル、これは住友生命。新宿センタービル、これは朝日生命といったぐあいです。まさに日本経済をへいげいしている。笑い事じゃないですよ、あなた。そして、総資産は幾らになっているか。昭和四十九年は十一兆円であった。昭和五十七年は三十四兆円になった。昨年は幾らか。六十五兆円ですよ、六十五兆円。そうすると、これは時価に直すと百兆円になるのですね。巨大なこれは資金量です。一体これはだれのものですか。
株式市場のそれこそ一部上場に、サービス関係が一番右の下の方にありますが、下から二番目の「コンピュータ」、コンピューターサービスKKの意味だろうと思うのですが、これは私の聞くところによれば、新宿の住友ビルの中にあるようです。
十一棟目が現在工事中という状況でございますので、先生の御質問にお答え申し上げますと、二番目に建ち上がりました住友ビルのところからその建設主並びに副都心の新宿新都心開発協議会、ここからNHKの方に依頼がございまして、その段階から調査が始まっておるという状況でございますので、四十六年ごろから、建ち始めたころから調査をしませんと、建ち上がってからでは、その事前と事後の調査でもってこれということがわかりませんものですから
これはたまたま住友金属の本社の話ばっかりになるんだけれども、ここでは、休養したいと思ったらまず勤労課へ行って、それで気分が思うなったんで休養したいんだと言うたら、そこの住友ビルの十二階に診療所があるんだそうですか、その診療所へ行って診察を受けて診断書をもらう。診断書をもらってもう一遍勤労課へ行ったら認可証をくれるわけですね。
これは新聞の記事でございますが、新宿住友ビル四十七階の特設スタジオから民放ラジオの人気リクエスト番組が放送される、そこへ電話が殺到いたしまして、一時間の間に四万四千七百五十八回のコールがかかった。
それから三井、住友ビルの間の高架道路では瞬間的に二十二・四メートルの風が吹くことがある。二十二メートル、大変な風ですね。新聞の中では、一トントラックの車輪が風でちょっと浮いたというのを実際に見たというニュースまで載っているんですね。非常に大きな風がやっぱり出るわけで、これが次々建っていきますと、風害問題もまた新しい問題になりかねない問題であります。
京王プラザだとか住友ビル、今度三井ビルができてくる、こういうふうになってきますと、常時従業員だけで四万人いる。お客の出入りで三十万人、これはちょっとした中都市なんですよ。それから池袋の東京拘置所あとに新都市センターがつくろうとしているやつ、あれなんかもたいへんなんです。あれはたった一つのビルで一日に三十万人ぐらい、浦和市ぐらいの人間が動くだろう。
それから住友ビル、三井ビル、それからKDD、これがいま建設中でございまして、われわれの調査によりますと、大体八千世帯が難視聴になるのではないかと推定されるわけでございますが、この問題につきましては、去る三月三日に、障害の原因となっておりますビル群側——これは将来ビルを建てる方々も入っておるわけでございますが、ビル群側と被害者たる住民の方々で話し合いがまとまりまして、ビル群側が共同受信施設をつくりまして
いま日本一の超商層の住友ビルというのが二百メートルで、ほぼ全容ができ上がっております。このあとにさらに二百十五メートルの三井物産ビルというのが工事を急ピッチで進めております。聞くところによりますと、昭和五十二年までに二百メートル級のビルが十三もあの地域に建つそうであります。
そういうことはもうおやめになって、Vの波が特に都市の難視聴の問題に対して――プラザホテルとか住友ビル等が大きな問題を起こしているわけですから、ここらで郵政大臣は勇断をふるって、そういう誤った、小林、井出、三池、廣瀬各大臣の轍を踏まないで、あなたはきちっとVの波をおやりになるように私は要望する。あなたの所見をほんとうは聞きたいんです。
そこで、結局後事を引き受けたところの佐藤君は、この住友ビル、これの事実上の所有者になってきたわけなんです。当時加藤商会から住友ビルを対象として行われておった融資は、たしか千五、六百万のものであったようでありますが、長い間ですと、これが高利でありますから、たちまちにして四、五千万円になってきた。そうすると、加藤君のやっておった事業の中の残存財産として代表的なものは、この土屋ビルになってきた。
これは大阪市の住友ビルから奈良に移つて参つたのでありますが、その設置されておりますところが、実は白鳳、天平期の奈良朝、平城京の一番中心である大極殿の、現在文部省の特別史跡に指定されておりますすぐそばにありまして、昔の大極殿から南に通ずる朱雀大路と三条大路の交叉するところでありまして、いわば当時における一番の大きな繁華街だつた、こういうところであります。
この奈良の休養施設が開始せられましたのは、大阪の住友ビルにあつたものが、昭和二十七年の五月一日以降こちらに移駐したというような記録になつております。
その後これが駐留軍によつてキャンプになつたかどうか、実は今はつきりと記憶はいたしておりませんけれども、去年の五月一日に大阪の住友ビルから移つて参りましたキャンプは——当時キャンプという名前がついておつたかどうかは記憶しませんけれども、その工場がいわゆる賠償指定工場で六年も七年もほつてありましたから、ほとんど雨も漏り、そうしてあばら家同然になつておつたものと記憶いたしております。
それから住友ビルにありますKP関係の料理人約六十名ばかりでありますが、これもよく聞いて見ますると同じようなことを言つておる。朝鮮から帰還をして来た軍人から一ドルずつ醵出をさせてそれによつて給料の支払が行われている、こういうことのために甚だ不安定なのですね、身分が……。
すなわちホテルとして帝室林野局、住友ビル、名古屋の常磐ビル京都の洛陽ホテル、大阪では病院を直すなど、一生懸命に仕事をしていらつしやると思います。またこの間の新聞を見ますと、バイヤー接遇のために、貿易廳當局者の談として、いろいろなパンフレツトを贈ることにして、それはすでにできておるという談話が載つておるのであります。それが本當なら、なぜ今日ここにそれを持つておいでにならないかと思うのであります。